人間って… ??

以下のような意見に会った。
「牛や豚の屠殺シーン画像見ても、それでも私を肉を食べる。スーパーの肉を見て、「あぁ、こいつらもあんなふうに殺されたのかな?」と考えたりする。はじめ見たときはショッキングだったけど、それでも私は肉食をやめようとは思わなかった。ただ、ああいう画像を見てから、いただきます・ごちそうさまは自然に口から出るようになった。それから肉だけじゃなく、野菜とか穀物も食い残さなくなった。 私はこれで十分だと思う。」

この考え方のように、事実を知ってその上でした選択なら、それでいいと思っていた。しかし、最近少し考え方が変わってきた。それは、「アイランド」という映画を見てから。

映画の内容はこんな感じ。ある企業が、利益を得るために、製品としてクローンを生産する。発注者が病気のときの臓器移植に使うために。そのクローンは元の人間とまったく同じに生成され、もちろん感情も持っており、地下に隔離された秘密の世界で人間として生活させている。「あなたたちは汚染された地球最後の生き残り」と言って洗脳させて…。そして、クローンたちは、宝くじのようなチャンスを与えられ、運が良ければ、地上で唯一汚染されていない楽園「アイランド」に旅立つことができる。しかし、それの意味するところは、元の人間に臓器が必要なとき−つまり、クローン人間は宝くじに当たって楽園などに行くのではなく、臓器提供のために都合のいいように殺されるのだ。製品として。しかし、元の人間は、自分のクローンたちが感情を持っていて、自分たちと全く同じ人間として生活していることを知らされない。植物状態だと教えされている。そうしないと、必ず「かわいそう、殺すなんてできない」という発注者の意見であったり、倫理の問題が生じて、商売が成り立たないから、事実は隠蔽されている。

この映画の中のセリフで心に残ったのがこのふたつ。
「人間は生きるためなら何でもする」
「誰だって自分が食べる牛が殺される場面は、見たくないだろう?」

前者はまさにその通り。何かにつけて、人間てそうだなぁ…私もそうだなぁ…と思って暗くなってしまう。後者の方は、―長くなってしまったが、ようやく本題―冒頭の牛(食肉)のことと繋がる。(ところで肉食者はこの言葉に対してどう思うのだろうか)

私のそれまでの考え―
「虐待とも言えるやり方で無理やり育てられ、激しい苦痛を伴い、残虐なやり方で殺されるという畜産界の現実を知って、見て、それでもなお牛を食べると考えるなら、食べればいい。」

「同じように、クローンに感情があるということを知った上で、それでも私は自分が生きるためにクローンを殺す、という考えなら、それでいい。」

でも、果たしてそうだろうか。(ただし、映画でのクローンたちは地下世界では普通にいい暮らしをしていたし殺されるのも苦痛を伴わないやり方なのでその点では畜産界よりも随分とましではある)

こういうことをぐるぐると考えてしまって、映画を観た後はしばらく何もしゃべることができなかった。いつもそう、頭がよくないのでその場ではなかなか自分の考えがまとまらず、今やっているように、この激しい感情は何なのか?と自分に問う作業が後で必要になる。

事実を知ってクローンはよくないと言う人と、それでもクローン賛成どんどんやろうと言う人との間には、どういう違いがあるんだろう?両者は何が違うの?なぜそういう違いが生まれるの?

両者の溝は、どうやっても埋められないものだのだろうか?いや、そもそも埋める必要はあるのだろうか?

溝を埋める…ところで、私はどうして埋めたいと思うのだろう?

ところで、人間は何によって人間たり得るのだったか?教育とはどういう目的で行うのだったか。社会化することとはどういうことだったか。倫理観を養うこと、義務教育では道徳の授業があること、それってどういうことか。

良識・道徳などの中に人間が人間たり得る根拠があるのは確かだろう。
マズローによると、人間にとって生きる原動力となる欲求は、「本能」、「安全」、「所属」、そして「承認」と段階的に成長する。しかしこの4段階までは動物の世界にでもあることで、人間が人間たり得るのは、5段階目の欲求である「自己実現」の到達に向かって生きるということだ。 )

でも、一方で、こうも思う。人間はこれまで、何をしてきたか?人間が、一体どれほど地球上の動植物に害を与えてきたか。人間は、人間であったが為に、地球の癌となったのではないか。

とすると、人間であることに、どういう意味があるのだろう。人間であることの誇り?人間としてのプライド?それってどういうこと?人間であることがそんなに高尚なことなの?完全に食物連鎖から外れてしまった存在である人間。地球を征服しようとしてきた人間。なんで人間だけがそんなに偉そうなことができるんだろう。人間以外の全ての生き物を支配していいと思っているんだろう。人間はこれだけ好き放題やってて…それらは人間だけに許された特権なのか。

そう思えない、ということや、人間だから、倫理観を持っていて、クローンがいけないと思う、動物虐待がいけないと思う、生き物の権利を尊重する。しかし、人間でなければ、そもそもクローンなんて作らないし、虐待もしない。

う〜ん?このあたりで、わけがわからなくなってきた。

ところで、環境破壊とも照らし合わせてみると、上のことと全く同じことが言えると思う。
人間だから、欲があるから、地球をどんどん壊してきた。でも、壊れた・壊れかけた環境を修復できるのは人間しかできない。人間だから、地球を守ろうとすることができる。

こう考えると、結論は、やっぱり原因を作った人間が悪いということになる。しかし、原因は原因として、今なすべきことはやはりそれを反省して、よい方向へ導くべく努力することだろう。それにはあまり異論を唱える人は無いと思う。(あるとは思うが、少なくとも地球を守りたいという感情を「おかしな考え」、とは思われないことでしょう、ベジタリアンキチガイ扱いされるのに対して)それは、環境が破壊されてきたという事実の認知が広がったことと、それを守ろうという考え方が人間に定着してきたからだろうか。

クローンの問題も、動物の権利の問題も、そして肉食による弊害の問題も、先の環境問題と同じように、要は、時間の問題ということなのだろうか?ベジタリアンキチガイ扱いされない日が来るのはいつだろうか。「地球を守りたい」という気持ちで行う―浜辺のクリーン活動や砂漠の緑化活動、植林…などと同じように「菜食という選択」も並べられる日がくるのだろうか。事実が広まり浸透していくとともに、徐々に菜食が増えていくのだろうか。そう願ってやまない。