友人による菜食への理解

大学の実習からの帰りのバスで、話す気は無かったのにひょんなことから菜食への思いを語ってしまった。(ある映画をみてすごく考えたのだけど、その話題になったことから菜食の話に及んだ)

話し始めたら後にはひけず、途中、あ、しまった…と思ったけど 話す相手が理解ある人で助かった、と思った。(それでも傷ついたことがなかったといえば嘘になるけど)

ところで、私はいつも、この主張をするときは言いたいことが言えないまま我慢して終わってしまうんだけど、一体、自分の意見を主張することの、何に躊躇してしまうんだろう。

賛同してくれとは言わない。賛同してくれるはずがないと思うから。これまでの経験的に。かといって、理解してくれとも思わないつもり。それを期待して、悲しい思いをしたことがあまりにも多すぎた。

肉を食べない理由を言ったときの、相手の反応が見たくないだけなのかもしれない。というのはやっぱり、賛同してほしい、変わって欲しいと思ってるからなんだろうなぁ。はぁー。裏腹だなぁ。というか、こんな理由って、ただ私が弱いだけってことだよね。逃げてるってことだよね。いやだなぁ…自分。

相手に気を遣わせるのがすごく苦手で「こう言ったら相手はこう気を遣っちゃうかな…」とかすぐ考えてしまって(普段、無意識にはすごく自分勝手な人間なのにね。なのにおかしいと思うけど、このことに関してはすごく考えてしまう)
私が「肉は絶対食べない!!」って言ってしまうと 何人かで食事するときなんかに、私がいるせいでお店選びに制限ができてしまったり(だってみんな優しいんだもん!!><)、買出しでも、肉に偏らないように考えさせてしまったり。なんか、そういうのが申し訳なくてしょうがない。

だから、「食べれる、大丈夫」とか、「何でも食べれるよ」(言っといて食べないけど)って言って、自分を偽ってしまう。「適当にやってるから、気にしないでいいよ」とか。

そして、私のその曖昧な態度がよくないと言われた。でも、そこまで私は強くない。強くなれない。すぐ泣いてしまう。すごく辛いんです。それを我慢するのが精一杯で…。ごめんなさい。ごめんなさい。

「動物がかわいそう」という言葉は、 裏返せば「肉を食べてる人は動物にかわいそうな事をしている輩」という中傷になる。だから、言いたくない。そう思ってないから言わないのではなく… そんなこと、口に出して言えるわけがない。(それに私は別に優しい人間ではないので、そう言うことにかなり罪悪感がある)
これは一例だけど、ほかにも思うところ、でも言えないことはたくさんある。だから余計態度が曖昧になってしまう。私が言うことが曖昧なのは、いろいろ考えてしまうから、迷いがあるから、小心者だから。 曖昧にしか言えないのは、肉を食べてることを非難されたと相手に思われないように気遣ってであったり、また、ずるいけれど相手の非難から自分を守るためであったりする。

自分の主義主張を貫くと、必ず衝突が起きる。自分の意見を貫こうとするなら、自分の周りの人全員を敵にまわすまでの覚悟をしなければいけないでしょう。確固たる信念があるなら、嫌われてもいい、うざったいと思われて、それで離れていく友達なら、そんなの切り捨ててしまえばいい、誰にでも好かれるのは所詮無理なこと、一人でもいいじゃないか。そう割り切って、自分の信念を貫くべきだ。

確かにそれは正論だと思う。…でも、私にはそんなことできない。怖いよ。すごく。また、それができないから、自分の中に矛盾が生じて、悩みはとめどなくなってしまう。