2 「みんなそれぞれ」という立場に異論


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●「みんなそれぞれ」「楽しいからいいじゃないか、おいしいからいいじゃないか」
『皆がお化粧をし、革靴を履いて肉を食べる。思うとこや事情があってなにかひとつでもや
めてみる。それでいいじゃない。完全菜食主義者であれ、肉食中心の食事をされている方であっても、それは個人の自由であって、それを批判したり軽視したりすることは、人として心狭い思いがします。互いの個性、主義を尊重して、平和的に過ごしたいものです。肉を食べないことが動物愛護だと考えるのならそれでも良い。家畜の無残な死を経験してそれを強く主張される方がいてもよろしい。肉が好きで毎日肉三昧な生活・・それでもよろしい。
同じ考えの人間は一人もいない・・・同じ物は何一つ無い・・・互いの個性や違いを尊重してお互いに認め合って楽しく平和的に付き合っていきたいものです。』

この考えは、人間として真っ当だと思います。ただ、人間中心に考えればその通りであることです。

しかし、畜産動物の権利のことを考えるとどうなのでしょうか?

●畜産動物の権利、ひどい現実

繰り返しますが、牛も豚も鶏も、家畜動物たちは、一生を暗く狭く密閉された檻の中に閉じ込められ、心身を病んでいます。その解決法は、動物舎を改善することではなく、絶え間なくホルモン剤、食欲増進剤、殺虫剤、抗生物質などを投与し体を薬漬けにすることです。ストレスによる尻尾の噛み合いを防止するために、歯と尻尾を切り落とされる子豚、ひなのうちに嘴を切断される鶏。牛も豚も肉質を柔らかくするために麻酔なしで去勢されます。屠殺場へ行く動物たちはそれは嫌がって叫び声をあげたり逃げ出そうとするそうです。動物たちは誕生から死まで、苦痛に満ちた短い生涯を強いられています。食肉は大量繁殖の為に100%人口授精させられています。最近は、利潤追及をめざすクローン動物の研究など、遺伝子レベルでの生命の改変が進められています。
生命としての全ての尊厳が奪われ、商品としてしか扱われていないのです。あまりにもむごい現実です。

かのトルストイはこう言いました。「肉食をするすべての人が 自分でそれらの動物を殺すことになったら 彼らの大部分は肉食を敬遠するようになるであろう」
レオナルド ダ ヴィンチはこう言いました。「私はかなり若い頃から動物を食べるようなことは絶対にしなかった。 動物を殺すことは人間を殺すことと同じである。人間がこのことを認識する日はいつか来るだろう」

彼らには生への喜びなどありませんでした。自らのせいに感謝したことなど 一度もありません。死ぬためだけに生まれてきた そして生きたまま殺されていきます。

畜産動物を殺すのは 人間の感性から言ったら 明らかに残酷なのです。そして人間は 食べきれない肉を毎日 何トンも捨てています。こういう鬼畜な食生活は もう辞めにしませんか。自らに課せられた屠殺の穢れと言う責任を 他人に丸投げして 自分は穢れないようにしている ・・・。

こんな卑怯な行為も もう辞めにしたいのです。