5 じゃあ、どうして植物は食べられるの?

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ベジタリアンだ、と言うと『じゃ、なんで野菜は食べるの?生きてる存在には変わりがない』『どうして植物はかわいそうじゃないの?』と、必ずと言っていいほど言われます。植物と動物の命に差があると考える思想はおかしいということです。
『動物の命を大事に思うのは良いことでしょうが、単に人間に近い 動きをするからということで動物の肉を食わないってのは、単に 見かけにこだわっているだけではないのかな。』そのほか『命の差別をしている』『筋が通ってない』…などなど。

ありがちな、素朴な意見です。菜食と聞くと瞬時にこう言って責め立てられるものです。植物と動物がちがうところは心・感情の有無でしょうか。もっとも植物に聞いたことはありませんのでほんとうのところはわかりませんが。

動物でも原始的なものについては喜怒哀楽の感情があるとはちょっと思えません。線引きが難しいところで、じゃあ両生類はどうか、爬虫類はどうか・・・・

ただ、牛や馬のレベルでいうと、明らかに人間に類似した喜怒哀楽の 種種の感情はあるわけです。どう見ても「単に人間に近い動きをする」だけの存在ではないでしょう。犬や猫をペットして飼うのも、単なる動くおもちゃとしてということではないのはわかっているはずでしょう。

ですから「心」を持っているものを、「感謝して食すこと」で済まして、果たしてよいものか。 このあたりはいろいろ考えるほどに葛藤はあるわけで、肉食の人はこの葛藤を回避するために、菜食主義もしくは菜食主義者は黙殺されるわけです。

でも、こう考えたらどうでしょうか。
自分で動物を殺して食べることって平気ですか?もし平気ならそれはそれでも結構かもしれません。でも「なんだか気持ち悪い・・」「動物の死体でしょ、怖い・・」なんて思う人であれば当然それらを選ばなくなると思うのです。私は、動物というより、同じ地球上の仲間として食べません。人間のお肉が売られてても買って食べないように。

「人間は自分が殺せるものしか食べてはいけません」と仏教学では教えられます。私は魚は殺せますが鶏は〆られません。だから食卓には魚が並ぶことがあります。

地球上の生物は全部、自分が生きるために必要なものを 必要なだけ食べていれば、殺生にはなりません。必要以上に欲をかくから、問題なんです。

大体、同じ種の生物(人間)を殺すのは人間だけです。これだけとっても「人間が最も上等な生物とは言えない」という ことは、多くの学者や思想家が言っている通りです。



http://www.fur-free.com/video/chinafur15fast.wmv:毛皮ができるまでこれを見られますか?

毛皮を買う人、肉を食べる人は、観るべきだと思います。私も最後まで観なきゃ!と意気込んで臨んだのですが、所々、目をつぶらずにはいられませんでした。…申し訳ない気持ちでいっぱいです。観たのはほんの一部なだけど…涙と鼻水が止まりません。また、ちゃんと覚悟ができてからもう一度トライしたいです。

多数決が流行しており、多ければ正しいような時代なので、少数派のベジタリアンはかなりの力、勇気がないと主張できません。

私もお肉を食べることがあります。私にそこまでの勇気がないからです。
完璧なベジタリアンになれないのは、先に書いた通り、ひとつは円滑な人間関係のためです。非難されるのを恐れ、つい、保身にまわってしまうのです。世間の目は厳しいです。ベジタリアンであることを告げるとそれだけで煙たがられます。それが怖いので心を許した人にしか言うことができません。それも辛いです。これもネットだから言えること…です。